スルタン・マフムード(? - 1402年)は、西チャガタイ・ハン国の君主(在位:1388年 - 1402年)。

ソユルガトミシュの子。1388年に父が死去したため、後を継いだ。父ソユルガトミシュはティムールの武将として活躍した後ハンに擁立されており、マフムードも父の跡を襲ってハンとなり武将として活躍した。マフムードはティムールに従ってインド遠征や7年戦役に従軍し、アンカラの戦いにも参加してオスマン朝のバヤズィト1世を捕らえるという功績を立てている。だが、その直後に急死した。

マフムードの死をティムールは深く悼んだが、西チャガタイ・ハン国の君主はティムールによって擁立されることもなくなった。その理由は明確ではない。

脚注

参考文献

  • R.ラフナマリエフ(加藤九祚訳)「チムールの帝国」加藤九祚編『アイハヌム2008』2008年、東海大学出版会
  • 川口琢司『ティムール帝国』2014年、講談社

イスタンブール・旧市街スルタンアフメットで話題のマレーシア料理店 たびこふれ

マフムード 2 世 1785 ~ 1839 年の肖像、オスマン帝国のスルタン、1829 年

ティムール朝 Wikipedia

スルタン・マフムード・ガンズナに面するインド大使館、ハフィズ・エ・アブルの「マジュマル・アル・タワリク」より、1425年頃、紙に墨と水彩、金彩

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