益田 就之(ますだ なりゆき)は、江戸時代前期の毛利家家臣・長州藩士。石見の国人・益田氏の第20代当主である益田元祥の四男。
生涯
元和元年(1615年)、毛利家の重臣である益田元祥の四男として生まれる。
元和9年9月18日(1623年11月10日)、毛利秀就から隼人佐の官途名と「就」の偏諱を与えられ、就之と名乗る。寛永9年(1632年)、父・元祥の隠居料3000石のうち、2000石を相続した。
その後、嫡男の就武(又兵衛)が病により家督を継ぐことが出来なかったため、就武の嫡男の就朋(隼人)に家督を譲り、寛文12年(1672年)に58歳で死去。
脚注
参考文献
- 萩藩閥閲録巻30「益田右衛門」
- 近世防長諸家系図綜覧 「42 寄組益田家」



