緑楯王ブルータス(Brutus Greenshield、ラテン語:Brutus Viridescutum、ウェールズ語:Brutus Darian Las)は、年代記編纂者ジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』に語られている、ブリトン人の伝説的王である。彼はエブラウクスの息子である。

ジェフリーの証言

ジェフリーによれば、緑の楯(ラテン語:Viridescutum)という姓のブルータスはエブラウクスの長男であり、エブラウクスの死後、ブリテン島に残った唯一の息子だった。他の息子たちは全員ゲルマニアへ行き、そこで新たな王国を築いていた。父の死後、ブルータスは12年統治を行った。その跡継ぎが息子のレイルであった。ジェフリーの著書に書かれているブルータスに関する記述はここまでである。

エリザベス朝期の文化

イタリアの学者ポリドール・ヴァージルによれば、緑楯王ブルータスは「国内でも戦場でも大いに名を馳せた 」という。一方、エリザベス朝期のイングランドでは、ブルータスは偉大な戦士としての名声を受け、エノーにてフランスに対する遠征を行ったとされている。イギリスの詩人マイケル・ドレイトンは著書『ポリ・オリビオン』において「緑楯王ブルータス、我々はその名を摂理により帰属させた/神がこの土地の最初の征服者であるブルータスを復活させるために」と言及している。ブルータスのエノー征服と思われるものはエドマンド・スペンサーの『妖精の女王』にも登場する。その中で彼は「父親の喪失を修復するために」「スカルディス川の河口でブリュンシルト(エノーの王子)とエノーで二度目の戦い」をしたと述べられている.。この戦いで、彼の緑の楯は血の赤に染まった。緑楯王ブルータスは別の作品でも登場する。国王を題材にしたBrute Greenshieldはアドミラルズ・メンにより上演されたが、そのテキストは失われている。これはジョン・デイとヘンリー・チェットルによって書かれた可能性がある。

ここまで紹介した全ての作品において、緑楯王ブルータスのエノー遠征はイギリスの神話的礎となり、世界にイギリスの影響力を拡大した最初の海外事業となった。1579年にレスター伯爵がイギリス軍を率いてスペイン軍と戦ったため、エノーはエリザベス朝期においても重要な場所であった。緑楯王のエピソードはエリザベス女王が「ベルギークの海岸に白い棒を伸ばす」というマーリンの予言を予感させていたという.。

ポップ・カルチャー

ダンジョン・シンセグループ「Brutus Greenshield」の名前の由来でもある。このグループはBandcampのサイトにていくつかのアルバムをリリースしている。

脚注

参考文献

  • ブリタニア列王史(訳:瀬谷幸男、南雲堂フェニックス)

塞王の楯をめぐる

緑と楯 ハイスクール・デイズ/雪舟 えま 集英社 ― SHUEISHA

塞王の楯 メルカリ

『緑の王 VERDANT LORD(9) <完>』(曽我 篤士,たかしげ 宙)|講談社コミックプラス

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