西川 義延(にしかわ ぎえん、1848年12月28日(嘉永元年12月3日)- 1908年(明治41年)10月26日)は、明治期の地主・農業経営者・政治家。衆議院議員、京都府会議長。旧姓・山中、幼名・栄次郎、旧名・庄蔵。

経歴

河内国交野郡長尾村(大阪府交野郡菅原村、北河内郡菅原村、津田町を経て現枚方市)で豪農・山中与治兵衛の二男として生まれる。1866年(慶応元年2月)山城国綴喜郡田辺村(京都府綴喜郡田辺村大字田辺小字北里、田辺町を経て現京田辺市)の南山郷士、地主・西川長十郎長女ユキの婿養子となり、庄蔵と改名、のちに義延に改めた。

綴喜郡第八区長、第三区副区長、同郡地券取調掛、京都府会議員、同副議長、同議長、同郡部会副議長、同常置委員、綴喜郡兼相楽郡長などを務めた。

1892年(明治25年)2月の第2回衆議院議員総選挙(京都府第4区、独立倶楽部)で当選し、その後、同盟倶楽部に所属して衆議院議員に1期在任した。

国政選挙歴

  • 第1回衆議院議員総選挙(京都府第4区、1890年7月、無所属)次点落選
  • 第2回衆議院議員総選挙(京都府第4区、1892年2月、独立倶楽部)当選
  • 第3回衆議院議員総選挙(京都府第4区、1894年3月、無所属)次点落選
  • 第7回衆議院議員総選挙(京都府郡部、1902年8月、憲政本党)落選

親族

  • 二男 田宮貞熟(田宮勇養子、田宮の妻はるが西川家出身)

脚注

参考文献

  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 京都府議会事務局編『京都府議会歴代議員録』京都府議会、1961年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



“2軍”と言われたアジア大会で西川潤は、PSGのイ・ガンインと大学生の戦友から何を得たか「ハッとさせられた」〈パリ世代インタビュー〉(3/4

【驚愕】西川潤の明らかになった彼女の正体に驚きを隠せない...『アジア大会』で韓国人からも話題になったイケメンサッカー選手の兄の現在や両親の

施設スタッフの谷口史延さん(左)と西川孝一さん(右) 加古川経済新聞

西川流について 西川流 日本舞踊 Nishikawa Ryu Nihon Buyo 公式サイト

「左足のスペシャリストに警戒を」 アジア大会決勝、韓国が最大限に警戒する日本人は? フットボールゾーン