塩狩峠(しおかりとうげ)は、北海道上川郡比布町(旧石狩国)と上川郡和寒町(旧天塩国)の境にある峠。天塩川水系と石狩川水系の分水界である。
概要
標高は263メートル。名寄盆地と上川盆地を結ぶ交通路として開削され、北海道内の旧国名である天塩国の「塩」と、石狩国の「狩」をとって命名された。
道路
1898年(明治31年)に現在の国道40号の前身となる仮定県道天塩線が開通。当初は悪路であったが1973年(昭和48年)に改良改修、1991年(平成3年)には現ルートが完成し、勾配やカーブが緩やかな峠になった。高速道路は、2000年(平成12年)に道央自動車道(旭川鷹栖 - 和寒間)が開通。峠付近は大規模な切通しになっている。
鉄道
道路開通の翌1899年(明治32年)に宗谷本線の前身である北海道官設鉄道天塩線(蘭留 - 和寒間)が県道と並行して開通した。その10年後の1909年(明治42年)2月28日に列車が分離し、鉄道員の長野政雄が殉職する事故が発生した(塩狩駅#長野政雄の殉職も参照)。この事故は、三浦綾子の小説『塩狩峠』の題材になった。
1916年(大正5年)9月5日には峠の頂上付近に塩狩信号所が設置され、後に塩狩駅として乗降が可能になっている。
施設
塩狩峠記念館
塩狩駅近くには長野政雄の顕彰碑が建立され、三浦の旧宅を復元した塩狩峠記念館がある。
わっさむ塩狩峠公園
和寒町公園設置及び管理条例に基づき「わっさむ塩狩峠公園」が設置されている。2022年(令和4年)10月には公園内に三浦綾子の「塩狩峠」の一節を引用した文学碑が建立された。このほか2022年10月末までに鳥瞰図なども設置され整備が完了し、桜の咲く2023年(令和5年)5月に開園セレモニーを開催することになった。
周辺
約1600本のエゾヤマ桜(オオヤマザクラ)があり、桜の名所となっている。
1963年(昭和38年)には塩狩駅の東側に国設塩狩スキー場が開設された(現在は廃止され森林に復元されている)。 2013年(平成25年)に塩狩ヒュッテユースホステルが開館した。
脚注
注釈
出典
参考文献
- 浅井建爾『日本の道路がわかる辞典』(初版)日本実業出版社、2015年10月10日。ISBN 978-4-534-05318-3。
- おのつよし『日本の鉄道100ものがたり』(初版第1刷)文春文庫、1991年5月10日。ISBN 978-4167536015。
関連項目
- 日本の峠一覧
- 北海道の峠一覧
- 日本の合成地名一覧
- 打坂地蔵尊 - 本峠での鉄道事故に類似した長崎県の木炭バスによる殉職事故が発生している。
外部リンク
- 北の道ナビ 峠情報
- 北海道地区 道路情報
- 北海道開発局 旭川開発建設部




