藤原 賀祜麿(ふじわら の かこまろ)は、平安時代初期の貴族。名は加祐麿とも記される。藤原北家、従四位上・藤原雄依の子。官位は従五位下・大宰少弐。

経歴

嵯峨朝初頭の弘仁元年(810年)薬子の変終結後に従五位下に叙爵。翌弘仁2年(811年)2月に右京亮に任ぜられるが、5月になって武蔵介に任ぜられ地方官に転じる。のち武蔵介の官職に就いたまま、中務少輔・侍従といった京官を兼帯している。その後、時期は明らかでないが大宰少弐を務めた。

官歴

脚注のないものは『日本後紀』による。

  • 時期不詳:正六位上
  • 弘仁元年(810年) 11月22日:従五位下
  • 弘仁2年(811年) 2月13日:右京亮。5月14日:武蔵介
  • 弘仁5年(814年) 7月10日:兼中務少輔
  • 弘仁6年(815年) 3月13日:兼侍従
  • 時期不詳:大宰少弐

脚注

出典

  • 森田悌『日本後紀 (中)』講談社〈講談社学術文庫〉、2006年

画像】藤原歌劇団、創立90周年に日生劇場でベルカントの巨匠ドニゼッティの傑作『ピーア・デ・トロメイ』を上演」の画像9/10 SPICE

「藤原虎麿」に関する情報一覧 福岡・九州の世相を斬る!福岡県民のためのニュースサイト「福岡県民新聞」

藤原歌劇団 JOF 公益財団法人日本オペラ振興会

藤原 謙(三代 藤原楽山) 作 「備前ぐい呑」 ~備前焼専門卸小売店 川口陶楽苑~

藤原 謙(三代 藤原楽山) 作 「備前ぐい呑」 ~備前焼専門卸小売店 川口陶楽苑~